週一で読書

気持ち的には、週に約一冊のペースで読書の感想を書いています。

「シングルスタイル」を考える

はじめに

読売新聞を流し読みしていると、「シングルスタイル」というコーナーが目に留まった。漫画『孤独のグルメ』をテーマに取り扱った内容で、人がひとりで過ごす時間に強くスポットライトを当てた記事に興味を持った。

調べてみると、「シングルスタイル」の編集長がこのコーナーを元にした本を出版していた。『読売新聞「シングルスタイル」編集長は、独身・ひとり暮らしのページを作っています。』というタイトルの本だ。コロナ禍の影響もあり、私自身例年よりもひとりで過ごす時間は倍増した。私も「ひとりでいること」を考える時間が多かったので、手にとって読んでみることにした。

終始押し付けがましいことはなく、緩く他人の生活の一片を覗き込むことができるような雰囲気の本だ。語り口調や言葉の選び方もあってか、実に穏やかな本だと感じた。一方で、内容は切実に考えさせられるものもあり、気づきがある本でもあった。

「ひとりで暮らす」ことを選んだ時、もしくは否応なくそうなってしまった時、明らかに強いストレスを感じるイベントがいくつかある。年末年始はそれを代表する期間で、この本は「シングルスタイル」を採っている人々の、正月の思い思いの過ごし方を紹介するところからスタートする。

結婚

年末年始に帰省すると、シングルの人が「いつ結婚するのか」とか「孫の顔が見たい」とかいう言葉を投げかけられるのは想像に難くないし、現に多くのシングルがそうした言葉をかけられて苦い思いをしているらしい。 私はまだ結婚の選択をするには比較的早い歳だというのと、両親が晩婚なのとで、そうした言葉を直接投げかけられたことはない。しかし、「地元の誰それが結婚して、子供もできた」とか親に言われたこともあるし、「高校のクラスメイトが結婚した」という話題が耳に入ってくることもあるし、いよいよ結婚が自分ごとになってきたのも事実だ。

ひとりの最大の敵は「孤独」だと思う。精神的な意味でも、実際的な意味でも、孤独であることの不都合は少なくない。結婚は「永遠の伴侶」を獲得する(という体である)点において、孤独を解決する最も主流な方法の一つだろう。もちろん、「方法」ではなく結婚そのものを目的としている人も少なくはないだろうが。

逆に言えば、孤独を解決する手段を確立しているか、あるいは孤独に耐えられるのであれば、「孤独」という観点においては結婚する必要がなくなるように見える。結婚はあくまで方法であって、そのシングルにとっては別の方法で「孤独」という課題を解決できているからである。

また、結婚は尊いものであるとして無条件で礼賛されがちだが、必ずしもそうではない。すれ違いからトラブルになることも少なくないし、DVをはじめとした悲しい事件もある。結婚も人間関係の一つである以上面倒なことはあるし、上手くやれる人ばかりではない。

さて、この本を読んで驚いたのは、50代や60代の方々を対象とした婚活サービスが存在しているということだ。今まで私は、結婚はせいぜい30代、遅くても40代にするものだと考えていた。デッドラインがある以上、今の段階で結婚するか否か、切実に悩んでおかなくてはいけないと考えていたからである。今の段階で分母はそれほど多くないらしいことは窺えるが、とはいえ今まで見えていなかった選択肢が浮かんで来ると、デッドラインなど本当は無かったのではないか、という気もしてくる。今現在特に困っていないなら、「なるようになる」程度に気楽に考えていてもいいのかもしれない。

少子高齢化

結婚と関連して必ず言及されるのは出産だろうと思う。思えば「恋人はいつ連れてくるの」「結婚はいつなの」「子供はいつなの」と急かされ続けることになる、そんなに急かされ続きで、人生なんてやってられないな、などと考えてしまう私は卑屈なのか。

少子高齢化」という言葉は、単に「以前と比較すると子が少なくなり、世の中が高齢化している」という状態を示している言葉であって、言葉自体に指向性がある訳ではない、ニュートラルな単語だと思っていた。しかし、「少子高齢化」を嫌悪している人も世の中にはいるそうだ。若くしてシングルである人に対して、「お前みたいな人間が少子高齢化を加速させているんだ」などと悪意を持って使われることもあるらしい。わざわざ友人らと少子高齢化問題について議論する場面などなく、実感を持つことは今の自分には正直難しい。

確かに「少子高齢化」そのものが変化を表す単語であるのは間違いない。少子高齢化に伴って年金のシステムが破綻し始めているとかいう話も聞くし、確かに社会的な観点で少子高齢化に伴う不都合はあるのだろう。マスメディアを代表する読売新聞のいちコンテンツに対して、社会的な責任を問いただしたくなったりする層も一定数いるのかもしれない。お前達のせいで子供を産まない人間が増えているのだ、などと。

話は脱線するが、そもそも人が「シングルである」というのは「結婚していない」状態のみを指し示している訳ではない。恋人がいても、結婚していても、人はシングルになることができるし、シングルになってしまうこともある(この本の中では、パートナーとの死別がその代表例として挙げられていた。自分にはなかった視点だった)。コロナ禍において、否応なしにシングルになる時間があった人も多いはずである。誰にでも訪れる可能性がある「短期的なシングル」状態と、「長期的なシングル」とは状況として別種のものだ。それでいて、そのシングルである状態への向き合い方には共通する部分や、参考になる部分があるはずである。私が偶然「シングルスタイル」というコンテンツを見つけることができたのは運がいいと思うし、こうしたコンテンツは大変ありがたいなと思う。

話を戻したい。自分には結婚に対する欲求がないし、このまま進めば社会の少子高齢化に貢献するひとりになる。 正直、だからどうしたのだ、と思う。少子高齢化になって年金システムが破綻しようと、だから何なのだ、と思う。ろくでもない毎日を少しだけ楽しくすることに必死な私にとって、少子高齢化がどうなろうと、知った事ではないというのが本音だ。

世代間倫理、という言葉がある。今の時代を生きる人間は、次の世代、その次の世代がより良い時代を生きるために努力する責任がある、というような趣旨の言葉と理解している。自分が生き抜く事すらままならない人間が子を育てる方が、子に対して、ひいては次世代に対してよっぽど無責任だと私には感じられる。

これも脱線だが、人が子供を産むときに、「それが野生の本能だから。あるいは性欲がそれをもたらすから」以外の理由で私が納得できる出産を一度も見たことがなかった。友人知人がそうしたと聞けばそれを祝うし、無事出産できてよかったねと思うが、出産そのものの道理は通っていないと思っている。私自身が反出生主義を抱えている、というのがその少なくない要因であると理解しているつもりだし、その人の選択に私が口を出すのも道理が通っていないので、当然黙っておめでとうと口にはするが。

いずれにしても、ここで私が主張したいのは「シングルスタイル」である人を「少子高齢化」という単語で攻撃するのはナンセンスだ、ということだ。シングルである選択をした人にその側面がある人もいるかもしれないが、少子高齢化には別の問題が数多く絡んでいる。そして、多子若齢化に寄与した人間でもシングルになる瞬間は訪れる。今のようなご時世では特に、である。

おわりに

筆者の方は私の母親とほぼ同世代で、その方が考える「シングルスタイル」はとても面白かった。自分が考えるそれと共通する点もそうでない点もあり、ひな祭りをはじめ、自分では思い当たらない視点は新鮮だった。 20代の自分にとってこの先の人生はまだ長い予定だが、とはいえどんな人生であろうとシングルになる/ならざるを得ない瞬間は必ず訪れる。強制的に「シングル」になる時代を若い間に迎えているのは、ある側面では幸運だったかもしれない。