週一で読書

気持ち的には、週に約一冊のペースで読書の感想を書いています。

③-2 デイヴィッド・ベネター 『生まれてこないほうがよかった -存在してしまうことの害悪』

目次

  1. はじめに
  2. 人生の質に関する三つの見解と、三つの見解どれをとっても人生はうまくいかない理由
  3. 快楽説
  4. 欲求充足説
  5. 客観的リスト説
  6. 三つの見解についてのまとめ
  7. リンク
  8. 出典・参考

はじめに

引き続き『生まれてこないほうがよかった -存在してしまうことの害悪』を読んでいく。この記事では3章中盤の内容に触れていく。

著者のデイヴィッド・ベネターによると、この本の主要な内容は2章と3章とのことで、極めて重要な内容なので丁寧に読んでいきたい。これ以前の内容についての記事を読んでいない方は、そちらを先に読んでいただきたい。また、③-2では③-1の内容を前提に議論するところが大半なので、もし忘れている場合は読み返すことを勧めたい。

mrimtak.hatenablog.com

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また、自分の理解や簡潔な議論のために大幅に本の内容を割愛して説明していくことになると思われる。詳細な内容を知りたい方はご自分で購入して読まれることを推奨する。

人生の質に関する三つの見解と、三つの見解どれをとっても人生はうまくいかない理由

人生の質について、ベネターは以下に示す三つの説を用いて議論を進めている。

  • 快楽説
  • 欲求充足説
  • 客観的リスト説

その上で、以上3つのどの説を用いたとしても人生が悪いものであるという結論を示す。以下詳しく見ていく。

快楽説

快楽説とは、大雑把に解釈すると「プラスとマイナスの精神状態が人生にどの程度あるかに依って、人生がうまくいったりいかなかったりする」という考え方である。 この考え方をするにあたって、マイナスの精神状態、プラスの精神状態、そしてニュートラルな精神状態の3種類の精神状態が識別される必要がある。

さて、この時マイナスの精神状態には以下のようなものが挙げられる。それは、不快、痛み、罪悪感、恥、退屈、ストレス、恐怖、悲しみ、孤独etc...が含まれるものだ。

対して、プラスの精神状態には2通りが考えられる。①マイナスの精神状態から解放されていること(=痛みがおさまる、退屈しなくなることetc...)、②内在的にプラスの精神状態であること、つまり五感を通じた経験や、非感覚的な意識状態(=喜び、愛、興奮etc...)の2つだ。

ニュートラルな精神状態とは、痛みや恐怖、恥などの不在のことだ。これは前述のマイナスの精神状態からの解放とは明確に区別される。(ようやく○○終わった〜、ではなく、そもそも○○がない状態)


さて、以上で快楽説と必要な考え方のベースを示したが、ポリナンナ効果から、(程度は様々あれど)人生のマイナスの精神的状態は無視されがちだという。例えば空腹や喉の渇き、ストレスなど様々なマイナスの要素を私たちは頻繁に経験している。しかし、私たちはこうしたマイナスの心理的状態に置かれている事実を普段から考えることはほとんどない。これはポリアンナ効果によって見落とされているということなのである。加えて、私たちはこの程度のマイナスには慣れており、つまりここには適応も機能しているということだ。

日常生活で不快感を感じていることをほとんど考えないことと、実際に不快感が存在していることが現に同時に起こっているということなのである。

しかし、特に①マイナスの精神状態から解放されていること、に依る幸福やニュートラルな精神状態のために人生を始めるということは当然馬鹿げている。(なぜならこれらは人生にマイナスを内在していることに対して肯定的になる必要があるからだ)また、②人生に含まれている内在的な快楽、これのために人生を始めることも馬鹿げているという。存在することに内在的な快楽があったとしても、決して存在しないことに勝るような純粋な利益を構成することはないからである。

一度生まれてしまったなら内在的な快楽を追求することは良いが、これを目指して人生を始めるには代償は割りに合わない、というのがベネターの主張だ。

欲求充足説

欲求充足説とは、「人生の質は自分の欲求がどのくらい満たされるかに依って価値判断される」というものである。

さて、快楽説での説明はそれだけに留まるものではなく、欲求充足説に基づく価値判断でも関係してくる。私たちが持っている欲求の大半は、「プラスの精神状態」及び「マイナス精神状態の不在」を得ようとする欲求だからだ。

しかし、欲求が満たされていなくてもプラスの精神状態であることはあり得るし、またプラスの精神状態ではないが欲求は満たされていることもあり得る点において、この2つの説は区別される。 欲求充足説において、人生の価値判断の基準は欲求が満たされたか否かであって、心地よい精神状態であるか否かは関係がないのである。 自分の精神状態がプラスであるかマイナスであるかを間違えることはないかもしれないが、自分の欲求が今満たされているかどうかを間違う可能性がある、という点は非常に重要だという。ここまで述べてきたように、ポリアンナ効果を考慮に入れると人間は自分の人生を過大評価してしまう傾向があるのだ。

改めて考えてみると、人生において今持っていないものへの欲求が即座に満たされることはそもそもない。(新しいモデルのiPhoneが欲しい、と思ってから手に入れるまでには確実に時間がかかる)加えて、私たちは若さや健康など、既に持っているものを手放したくないという欲求も持つ。しかしこうした「既に持っているものへの欲求」が満たされ続けることはほとんどない。

単純に、人間はとめどない欲求を持っており、それらすべてが満たされることはない、ということなのかもしれない。

さて、具体的に欲求が満たされているというのがどう分類できるのか、ベネターは2通りで表現している。

  1. 持っている要求を何でも満たしてしまう方法
  2. 満たされるだろう欲求だけを持つ方法

この二つのパターンのうち、前者の方法を通して欲求を満たす場合に人生がうまくいっている、と定式化できた場合について考える。

前者がよりうまくいっている人生だったとしても、現実的には欲求充足の仕方のうち大半は後者の方法で説明される。(私たちの欲求は、私たちの状況の限界に応じて形成されるため) つまり、現実的な欲求充足の方法である後者は空想的な前者の方法より劣っていると考えられる。 しかし、仏教やストア主義者のように欲求を無にしたり変化させることを良いことであると信じている人は少なくない。これは後者が優れていると言っているのではなく、前者の不可能性への応答として合理的だからである、とベネターは主張しているのである。

客観的リスト説

客観的リスト説とは、「人生の質はなんらかの客観的にいいと言われていることや、悪いと言われていることが人生にどのくらいあるかに依って決められている」という考え方だ。

快楽説、欲求充足説に関する議論は同様に客観的リスト説にも当てはまる。その上で、客観的リスト説は、実は完全に客観的なリスト(=文中では宇宙的視点と言い換えられていることもある)に依っているわけではなく、あくまで人間の視点において客観的であるとされているという。

個人の生が他の生と比べてどのくらい幸福かを判断したい場合は、この人間視点の客観的リストをもとに判断することは理にかなっている。しかし、人生そのものがどの程度幸福なのかを判断する場合、このリストはほとんど役に立たない。 ここでベネターは例を挙げている。

例えば、240歳まで生きている人なんて私たちの中には誰もいないわけだから、240歳に届かなかったせいであまり幸福でなかったなんてまあ考えない。けれども誰かが40歳で死んだとすれば(少なくとも、その人の人生の質が比較的良いものであったなら)、死んだことを悲劇的だと思う人はたくさんいる。だが、40歳で死ぬことが悲劇的であるとしても、90歳で死ぬことが悲劇的ではないのは一体どうしてなのだろうか?答えとして考えられるのは、私たちの判断が私たちの環境によって制約されているということだけだろう。

これは先に述べた欲求充足説の最後の議論に似ているかもしれない。良い人生の基準を、そもそも私たちの手の届く範囲でしか設定しなければならないのは何故なのか?つまり、幸福な人生とは初めから私たちの手の届く範囲の外にあることもあるのではないか。

宇宙的視点などという現実的ではない基準で人生を判断するべきではない、という反論に対して、ベネターは「謙虚」という概念を持ち出して説明している。

謙虚な人間は自らの長所に関して正確な認識がある一方で、自分が不十分で至らないものとなるような高次の基準もある、ということを受け入れていると(定義)するのだ。

カッコの中は補足。要するに、「上には上がいるよね」である。この「上」が仮想的な基準であり、ベネターが言うところの宇宙的視点に近いものである、と言うことだ。

三つの見解についてのまとめ

さて、ここまでの三つの説全てに共通して、二つの事柄が区別できる。それは、

  1. 人生は実際にどのぐらい良いものなのか
  2. 人生はどのぐらい良いものだと考えられているか

ここまでの議論の通り、この二者は大きく異なっており、人生の質は自分で考えているのと比較してはるかに悪いものであるとベネターは主張している。 人生の質の決定は良いことと悪いことの量の単純な比較ではないことは議論されてきた通りだが、人生には想像以上に悪いことが含まれている以上、その質には期待できないだろう、と言うのがベネターの結論である。

リンク

①デイヴィッド・ベネター『生まれてこないほうがよかった -存在してしまうことの害悪』 - 週一で読書

②-1 デイヴィッド・ベネター『生まれてこないほうがよかった -存在してしまうことの害悪』 - 週一で読書

デイヴィッド・ベネター『生まれてこないほうがよかった -存在してしまうことの害悪』②-2 - 週一で読書

デイヴィッド・ベネター『生まれてこないほうがよかった -存在してしまうことの害悪』②-3 - 週一で読書

③-1 デイヴィッド・ベネター 『生まれてこないほうがよかった -存在してしまうことの害悪』 - 週一で読書

出典・参考

  • 生まれてこない方が良かった―存在してしまうことの害悪(すずさわ書店)

以前から書いていたと思いますが、次の内容で『生まれてこなければよかった -存在してしまうことの害悪』の振り返りを締めることにします。3章のまとめと、ここまで読んでこの本に対して感じたことを言語化して終わります。長かった(本音)