週一で読書

気持ち的には、週に約一冊のペースで読書の感想を書いています。

終- デイヴィッド・ベネター 『生まれてこないほうがよかった -存在してしまうことの害悪』

目次

  1. はじめに
  2. 感想
  3. 出典・参考

はじめに

前のブログからかなり時間があいてしまった。新生活のなかリズムが掴みかねている。 前回までのブログでこの本の3章までの内容を読んできた。この本を読んだ今、改めて自分にとっての反出生主義について考えてみようと思う。

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感想

まず、この本のざっくりとした構成を振り返ってから感想に移っていこうと思う。 あらかじめ一点注意しておくと、反出生主義は「出生」に対して批判的な立ち位置をとる主義であって、「今生きている人間の即座の自殺」などを推奨、あるいは支持するものではないことに留意されたい。

2章で「存在してしまうことが常に害悪である理由」と題して、非対称性を取り上げて議論を展開した。非対称性を幸福と不幸、及び存在と非存在の間で認め、比較して非存在を支持する、という主張である。 また、3章では「存在してしまうことがどれほど悪いのか」と題して、生の質についての議論を展開した。様々な主張に対し、ポリアンナ効果を理由に想像しているよりも人生の質は悪い、と結論づけた。

さて、ここからは簡単に私の感想を書いていく。

私は、いわゆる哲学書に相当する本を読んだのはこれが初めてだ。比較対象がないので、哲学の議論はこのような形で展開されるのだなぁ、などと思いながら読んでいた。(先回りして読者の反論にさらに反論する文章が多く、特にベネターは大反論を受けたのだろうなと推察したりもした)

私は比較的直感的に、「生まれてきたら苦しむリスクがあるのであれば、生まれない方が子のためだろう」という感覚を抱いていた。2章において、非対称性という観点から体系的に主張として成立させているのは素直に眼から鱗、といった感じだった。自分が考えていたことがかなり定式化されたような気がしてすっきりしたように思う。一方で(特に3章において)ポリアンナ効果をほとんどの議論の土台として使っていて、生の質における議論は果たして十分なのか?という点で特に疑問は残った。 また、「人生の質は自分たちが思っているより悪い」という主張に対して、「その個人が思っている感覚がその個人にとっての人生の質と考えることはできないか?」という疑問もあり、正しく読めていればベネターはこの疑問には回答していないように思う。

また、この本をきっかけにして青土社出版の『現代思想』2019年9月号、吉沢文武『ベネターの反出生主義をどう受け止めるか(P129)』を読んだ。この文章では、特にベネターの第二章における主張である非対称性の議論について述べてある。詳細についてここでは省くが、「誕生害悪説」と「反出生主義」の間には開きがあり、同一ではないということに初めて気がついた。

長い時間をかけて読んできた本だったが、議論の多いテーマの本でもありいい刺激になった。当然といえばそれまでだが、今でも議論の余地があるテーマについてこれからは自分も議論に参加できることに気がついてワクワクした。 この本を読んで自分の主張が大きく読む前から変わる、などということはなかったが、ある程度体系的に一つの主張を学べたのは価値があったと思う。ただ、この手の本はブログで整理するよりもいい方法がある気がする。今後この手の本を扱うかは要検討、という感じだ。

現代思想』の2019年11月ではこの反出生主義が特集されている。改めてそちらにも目を通して、継続して学びを深めていこうと思う。

おわり。

出典・参考